愛した音楽を身体に刻んで、力に変えて行かなければ。

VATE:阪神大震災が酒井さんの人生を変えたとはどういうコトですか?

 

私は京都でその日の朝をむかえました。大きな縦揺れがあって、父と出勤時間までテレビを見ようといってテレビをつけたんです。そしたら、そこに折れ曲がった阪神高速が映っていた。本当にびっくりしました。京都は何ともなかったんですよ。普通に出勤するつもりでしたから。電車で1時間の近さの町が粉々でした。

 

VATE:確かにすごい惨事になっていました。

 

阪神電車はズタズタなのに、阪急京都線は嘘のように快適に動いていました。

大阪に近づくにつれ、事態の深刻さがわかってきました。会社に着くと、神戸方面の人は誰も来ていなかった。なんとか交通手段をつないで宝塚方面から来た先輩の様子で、事態が現実であると痛感しました。着の身着のまま、からがら逃げてきたという感じだった。会社に着くやいなや、泣き崩れる姿を見ました。

 

生き残ったと思いました。何故か偶然に神戸だったわけです。

私の部屋にはいっぱいのレコード・CDが並び、もし地震が京都だったら、全部瓦礫の下で粉々だったろうと思いました。神戸の瓦礫の下に、もしかしたら私と同じように音楽に夢をはせて、無念に亡くなった人がいたとしたら、私は生き残ってここにいるんだと思いました。レコード・CDなんか持ってても駄目だ。形あるものはいつか壊れてなくなってしまう。愛した音楽を身体に刻んで、声に、歌にして、力に変えて行かなきゃいけないと思いました。

 

VATE:それが人生を変えたというコトだったんですね。

 

私も行動に移す時が来た、もうすべて条件は揃ったと思いました。

そしてあのタイミングが実際、ラストチャンスだったと思います。その時私は25歳をむかえようとしていましたから。

 

VATE:そして、どうされたんですか?

 

OLを辞める事にしました。でも、すぐには辞めれませんでした。引き継ぎに半年ほどかかったでしょうか。

ですが、このOLの経験は私にとっては貴重なものだった思います。OLの間、忙しくて全く遊べなくて、貯金がたまる一方でした。時間は作るものというのも、この頃覚えたと思います。