VATE:デザインが見えてきた、という感じでしょうか?

 

デザインのある一部が見えたっていう感じですね。今僕が思ってるデザインではないですけどね。日本のいわゆるグラフィックデザインというものが見えたって言う感じですかね。

 

VATE:そこから何かアクションを起こされたんでしょうか。

 

当時勤めていた会社では、そこで見えたデザインというものと違う感じがしたので、他に移ることにしました。もちろんベースは一緒なんでしょうが、たまたま大阪のプロダクションから声をかけてもらったので、そちらへ行ったということです。

 

VATE:別の会社にうつられて、いかがでしたか?

 

その大阪のプロダクションは、その後つぶれかけたんですよ。それで、また別の会社でも仕事をしていて。ただ、何となくやっぱり足りなくて。

 

VATE:何かが足りないと・・。それでどうされましたか?

 

自分でやろうと思ったんですよ。で、27歳で自分で始めたんです。

 

VATE:いきなり独立というのはやはり勇気がいるのでは。

 

勇気はいりますよね。でも、半分はすごい夢がありましたよね。こういう事務所にしたいというのもあったので。今にしたらね、無謀な部分もあったけど、まあ何とか出来ましたね。

 

VATE:営業的な事は、ご自身で全部されてたんですか。

 

ええ、全部自分でやってました。もともと僕の血筋は商売人の血筋やと思うんですよ。

 

VATE:商売人ですか。

 

親父の家は、元々京都で麩屋さんをやってたんですね。生麩を作って東本願寺とか西本願寺に納めてる麩屋だったんです。その麩の仕事なんていうのは、ほとんど覚えてないですけども、商売というのは嫌いでなかったんですよね。

 

VATE:なるほど。

 

だから僕はデザインそのものと、商売という両方が面白いんですよね。

変な言い方ですけど、昔、デザイナーはお金の話をしたらダメみたいな部分があったんです。芸術家になりたがってましたね、みんな。僕はデザインが仕事だから、ビジネスだっていう感覚の面白さをいつも持ってましたね。