製造工程

VATE:具体的にどうされたんですか?

 

東京で行われていた洋装の企画に僕もデザイナーとして割って入って、やがて企画会議そのものを本社に移管したんです。さらには部署をまるごと移しました。かなり強引だったと思います。実際、辞めていく方もおられました。

 

VATE:ちょっと強引すぎた?

 

でもね、生地からつくる以上、生地と商品企画が一体であることは必然なんです。でないと、本当のオリジナリティーは生まれない。そう考えていたので、やりきりましたね。プロのスタッフが一斉に辞めてしまった後、京都の本社で一からやり直しでした。僕を中心にして、経験の浅い、若いスタッフを中心にして、部署を切り盛りしていました。

 

VATE:充実した感じですね。

 

ええ。そんな感じで紆余曲折を経ながらも、入社後しばらくすると、洋装部門の製造から企画までの責任者として、営業・販売とつなぐ仕事を中心を担っていました。企画をやってる以上、製造ばかりに目を向けていられないから、営業にも出ていました。当時はね、元々の分母が小さかったから1年ごとの伸びしろが大きくて。市場がひろがっていくことにやりがいを感じていた時期ですね。

 

VATE:二世ならではの苦労、というのはありましたか?

 

社内でというより社外からみた「ひなや」という会社や、そこでつくられる製品のブランドイメージ、という面での葛藤はありました。今も昔も、ひなやというのは実質的な創業者である父のパーソナリティーが色濃く反映された会社ですし、社外から見ると、染織作家としての実績も豊富な父の作品をつくって売る会社、みたいなイメージが定着していますから、その事実との葛藤がね…。入社して3年目くらいから無性にそのことが気にかかりだしたんですよね。このままではいけないな、と。会社にしては現代表のパーソナリティーに依存しすぎではないかな?と思い始めたんですね。

 

VATE:ですが、仕事は順調だったんですよね?

 

仕事は順調でしたよ。僕の関わっていた新しい販路が毎年どんどん伸びていき、営業と企画の仕事の両方とで、忙しく飛び回っていました。自分たちのつくる製品が日本国内の至る所で、お客様にお買い上げ頂いている、という事実がうれしかったし、やりがいを感じていましたね。

 

VATE:では何が問題になってきたのですか?

 

少しずつ僕自身とモノをつくる現場との距離が出始めていたんです。ひなやとしての仕事をしていくうちに、僕の中でモノ作りよりも、ビジネスとしての側面がだんだんと強く、大きくなってきていて。それが、僕のなかで引っかかりはじめていました。