初めての来島時の夕焼け

VATE:そんな豊田さんがなぜいまこの島に住まわれているんでしょうか(笑)。

 

ちょうど半年経った時ですかね、島のプロジェクトメンバーを何人も面接したけど、いい人がいないと聞かされたんです。もう一回だけ話を聞きに来てくれと言われて、また島に来たんですよ。着いた日に島の取り組みについてのプレゼンを受けたんですが、それにすごく共感したんです。それだけではなくて、僕自身、地方に行って偉そうにwin-winが大事ですとかいろいろ言ってたんですけど、実際に島に住んでプロジェクトに取り組んでいる人々の話を聞いて、自分の言葉って軽いなと感じたんですよね。自分は都会の全然しんどくない場所で仕事をして、そういうの良くないと。

 

VATE:なるほど。

 

僕が考えていた、いろんな地域を回りながらというのもまぁいいんですけど、東京に住んでるのってなんかちょっと卑怯だなぁと思ったんですね。そうどこかで思っていた時期でもあったので、余計に言葉が響いたというか。でもどちらかというとやっぱり勢いですかね(笑)。やってみたら何かがあるかもしれない。そう思いました。

 

VATE:心の中でいろんなものが繋がったんですね。

 

でも正直な話をすると、いまこの瞬間、海士町で仕事をして感じている充実感とか幸せ感とか、社会に貢献しているだとか、ありがたいなあと思う気持ちだとか全部ひっくるめて、こんな感じになるとは思ってなかったです。移住した時は島のために頑張るぞみたいなね、上からではないにしても水平よりはちょっとだけ上から見てるような、助けさせて下さいみたいな、そういうのが正直ちょっとはありました。でも島に来たら全然、違った。むしろ教えてもらうことの方が多くて、本当に来てよかったと思います。

 

VATE:でも大変なことですよね。経済的な部分や繋がりを一切捨てて移住するって。島への移住を決断するまでどれぐらいの時間かかりましたか?

 

もう1回だけ話を聞きに来てくれと言われたのが4年前の4月20日。この島に来た瞬間は移住するなんて一切思ってませんでしたけど、その日の夜20時くらいには決断するって言ってたわけなんで、そんな長い時間はかかってないと思います。

 

VATE:早すぎるでしょう(笑)。

 

そうですね(笑)。4月20日に決めて4月末には友達を集めて、島に移住する話をして。あとは仕事の引き継ぎに半年。11月の頭に移住しました。

 

VATE:東京から実際に荷物を運んで移住した瞬間ってどんな気持ちだったんですか。

 

移住して2日目か3日目くらいに日記を書いてるんですね。その日記の題名が「不便な事と不幸な事はイコールではない。」やはり島に移住すると伝えると、いろんな人が「大変ですね。」とか「何があったの。」って言うんですよ。それは恐らく皆の中で不便=ハッピーじゃない、という図式がなんとなくあるからだと思うんですね。でも僕が移住して本当に感じたのは…、いや、実際不便なんですよ(笑)。夕方から会議して20時ぐらいにじゃあご飯食べに行こうかなと思っても居酒屋が閉まってる。商店とか全部閉まっちゃってるし、コンビニも無いからリアルにメシが食えない(笑)。超不便じゃないですか。

 

VATE:確かに不便です。

 

だけど知り合いに「いや〜、ちょっとご飯食いそびれちゃって。」とか言うと家に呼んでくれて、ご飯を作ってくれる。スナックのママが「うちにござらっしゃい。」と言って食べさせてくれる。例えば、ある日漁師さんが魚を大量にあげたとしますよね。すると今日食べる分以外は保存するだとか、自分たちが食べる分以外は周りにお裾分けをするんです。海が時化て漁に出れない日もありますから、そういう日は保存している魚を食べたり、友達に助けてもらったりするんですね。不便だからこそ、いろんな制約があるからこそ、やっぱり一人じゃ生きていけないんです。自分の家だけじゃ生きていけないから、助け合う。