地中美術館
写真提供:地中美術館

「アート作品にイニシアチブを持たせたい」

VATE:ただ直島はずっと現代美術できているわけですよね?

 

そうですね。なので、その文脈の中には乗せていきたいと。

いきなり現代美術じゃなくて印象派やるの?!と言われないように、直島で展開してきた流れの中で、つまり「自然」をテーマにした「現代アート」の展開だと思うんですが、そういうものの延長線上でプロジェクトを展開できればと考えていましたね。

 

VATE:秋元さんとしても、このプロジェクトは楽しみだったんじゃないですか?

 

この話が進み出したのが、2000年過ぎたくらいだったと思うんですけど、それまでは町の中でのプロジェクトが続いていたので、私としては町の中で展開するものを継続していきたいと思っていたんですよね。なのでまた自然の残る南に戻るというのは、当時は何か違うような気がしていたんです。

 

VATE:南に戻るといいますと?

 

直島は国立公園になっている南側と、小さいですが、中世に生まれた城下町で構成されています。南側でやる場合は瀬戸内海の自然と安藤建築と現代アートの組み合わせが定石なわけなんですけど、街中でやる時は、人の暮らしとか、生活とか日々の積み重ねから生まれる「歴史」がアートと関わってくるんですね。

 

VATE:ええ。

 

当時は日々の暮らしを直島の歴史につなげる街中のプロジェクトがおもしろくて、人との関わりの中で作品を作りたい、展開したいという想いがあったんです。ですが、福武さんとしては、たぶん南側の自然、つまり瀬戸内海の自然に負けないアート空間をつくりたいと思っていた。ベネッセハウス・ミュージアムが出来て、10年経っているので、もっと圧倒的なものをつくりたかったのではないかと思います。安藤建築があり、スケール的に負けない現代アートがあって、ということが展開したかったんだと思うんですよね。

 

VATE:その中でモネがいいきっかけになってはじまったと。

 

そうですね。私はだから、当初は割としぶしぶ、という風に思っていたんですけど、スタッフが「秋元さん、どうせやるなら徹底していいものやりましょうよ。こんなチャンスないんだし。」と言ってくれたんで、まぁ、ここで集中してこれまでにないいいものを作ろうと思ったんですよ。

 

VATE:設計は安藤さんですが、中の展示スペースというのは秋元さんが考えられたんですか?

 

そうです。それまでの安藤さんとの関わりの中で一つフラストレーションがたまっていた部分がありました。それは、初めに空間を決められちゃうわけです。ベネッセハウスでは、すでに決まっている空間の中に、作品をおかなきゃいけない、という事だったんですよ。

 

VATE:主導権が作品側になかった、と。

 

何とかアート作品の方にイニシアチブを持たしてあげたい、つまり、このアート作品展示のためにはこういう空間が必要だから、これくらいのボリュームだとか、こういう空間にして欲しい、という風な、そこまでいかなくても、せめて50:50。つまりお互いに話あって、ぶつかりあってやっていけるようなところまでにしたい、と。