NY展覧会にて
「BATTLE BEAT」

信仰の対象であるからこそ、はじまった。

VATE:へぇ~!すごい。カルチャーショックですね。

 

このようなインド列車の旅も今回は仏様に見守られたのかガヤ駅には不思議なくらいオンタイムで到着しました。これは奇跡に近いらしい出来事だそうです。駅にはインドのスタッフの方達が待っていてくれてました。久々に会えた現地スタッフに会えて嬉しい反面、最後の移動は車といえど夜間でしたので、強盗などの心配もあり、ホテルに到着するまでは気が抜けませんでした。

 

VATE:そしていよいよブダガヤへ。

 

そうです。翌日、内田さんと息子さんとインドスタッフと私で人力車に仏様をのせ、仏心寺へと運びました。

本堂の前に着き、内田さんと私とで仏様をかつぎ、ご本尊としてお座り頂きました。本堂に仏様がお座りになられた時、「日本で沢山の方々に手をあわせて祈って頂いた仏様がお座りになられた!」「お釈迦様がお悟りになられたこのインド・ブダガヤにお座りになられた!」という喜びで一杯になりました。そして、このような素晴らしい御縁をこの私に頂けた事に対する感謝と感動がこみ上がり、胸が一杯になりました。

 

VATE:自分が彫った仏様にみなさんが手をあわせて頂くというのは感慨深いものなんでしょうね。

 

帰国後、今まで皆さんから頂いた励ましのお手紙を読み返して、報告の手紙をお送りさせて頂きました。再度読み返してみると、「その当時、こんな風に励まして頂いたんだ」と忘れてはならない人の温かさばかりでした。

そして、報告の手紙を書かせて頂いた後、「彫り終える事ができた事」「無事に届いた事」を喜んでくださったり、お祝の言葉を頂いたり、中には再度寺まで直接会いに来てくださって写真を見て頂いたりと再び励ましていただき、本当に有り難い色々な再会が待っていました。

 

VATE:素晴らしいですね。

ところで前田さんがお考えになる仏像彫刻というのは芸術ですか。それとも信仰ですか。

 

小さい頃からお寺で生まれ育ち、毎日仏様に手を合わせていたので、仏様が盗まれてなくなった時、私にとって仏様は芸術品ではなく、手を合わさせて頂いている信仰の対象であるからこそ、仏様を彫ろうと始まったのだと思います。

また、そう思いながら仏様のもとで育ってきたのですが、芸術の一面もあると思っています。ある人は信仰の対象として手を合わされたり、またある人は仏像を芸術と感じられる方など、また仏様は芸術として感じられながらも、祈りの対象である方…様々な見方があると思っています。少し曖昧な表現になってしまいますが、信仰の対象でもあり、また、お姿を見て「美しい」「お顔立ちがりりしい」など自然と感じる部分に対しては芸術性もあり、二つの面があるのではないかと思っています。