制作中の様子

何をするにも考えるにも葛藤していた。

VATE:なるほど…。で、どうされたんですか?

 

仏師を職業とする事を反対されても,また周囲から環境が作られてお寺が私の戻るべき場所のようになっていても,「しばらく京都で仏師としての勉強をしながら社会人として頑張りたい」と前向きに考えていました。でも心の奥底では一度でも「仏師になりたい」と両親や周囲に伝えた以上、逆にもう「実家の寺に戻らない」という覚悟を心の中で決めていたという感じでした。

 

VATE:強い決意だったわけですね。

 

もちろん、僧侶以外の職業で社会人勉強をしたかったのも事実です。同級生が一般企業に就職する姿を見たりして、自分の気持ちにいろいろな迷いも多く、何をするにも考えるにも葛藤していたように思います。

 

VATE:いろいろと迷いの多い時期でもあったわけですね。

 

そうです。ただ、浄土宗の教えを学び、修行を終え、加行を終えて僧侶となった以上、「住職ではないけれども、僧侶として仏様と向きあっていこう」と決意が固まった時期でもありました。

 

VATE:しかし大学を卒業されて仏師として修行をするといったところで、生活というものがありますよね。

 

おっしゃるとおりです。実家を出て独立している以上、生活費や木材購入費など最低限の収入が必要でしたし、当時は弟子入りできるところを探す余裕がありませんでした。そのため、大学時代より続けていたトラックドライバーの仕事の休みが合う仏像彫刻教室を探して、月謝制で趣味用として教えられている教室に2ヶ所通いました。ほとんどが自宅で練習する日々でした。お金の続く限り、できるだけ教室に通いつづけるようにはしていたのですが、費用の負担が大きく、毎月必ず教室に習いに行ける月も少なく、不安を感じる日々も多くありました。

 

VATE:まったく先が見えない状況ですよね。

 

ええ。その上、これまでの仏師の方々の経歴を拝見していると、独学のみの方もいらっしゃいますが、ほとんどの方が弟子入りをして何年後かに独立されている、というのもこの頃初めて知り「本当に大丈夫だろうか?」と不安な気持ちと葛藤することが多かったように思います。

 

VATE:かなり将来というものに不安もあったということなんでしょうが、

その後どうされたんですか?道は開けたのでしょうか?

 

確かに生活の不安はありましたが、しかし心の中では「なんとかしてみせる」と思っていました。修業中、親友に自分の夢を語っていた時、こう言ってくれました。「夢をもってやれば、大丈夫だよ。周りの建物だってだれかが夢をもって建てたんだから。人間が造ったんだよ。だから前田も夢を捨てずにつきすすめば大丈夫だよ。」やるだけのことはやろうと思い、それからは仕事の時は仕事、彫刻の時は彫刻と自分なりに踏ん張っていきました。仕事をしている時には嫌な事もいろいろありましたが、自分の夢を叶えるためと思うと仕事も楽しくやっていけました。