VATE:運良く仏師の方と出会われて指導を受けられるわけですが、その指導とはどういったものでしたか?

 

先生には技術指導も沢山していただきましたが、それ以上に「盗難にあった仏様のかわりを彫るという気持ちを大切に彫りなさい」とご指導頂きました。先生のご好意により、無償で指導していただき、その上に彫るための木、彫刻刀、彫るための場所など提供してくださいました。先生のそのお気持ちが何より嬉しくてたまりませんでした。先生からしていただいたお気持ちが、私にとって心の糧になっています。

 

VATE:そして盗難にあった仏様のかわりを彫ることができたわけですね。

 

そうです。先生のおかげで完成させることができました。

 

VATE:当初は盗難にあった仏様をなんとか自分の手で取り戻したいという想いから始められたのでしょうが、それを達成されたわけですよね。彫り終えられて、そこで終わりという風にはならなかったんですか?

目的を見失うというか。その後どうされたんですか?

 

念願の仏様を彫り終えた後、「できた!」という嬉しさでいっぱいでしたが、これで目的が終わったという感じは自然としませんでした。「これからは寺のお勤めだけでなく、修復したくてもできていない仏様を修復できるような僧侶になりたい」という夢を持ったからだと思います。

 

VATE:そういう過程の中で新たな夢が生まれてきたわけですね。

 

ええ。他にもひとつの木を少しずつ彫っていくと祈りの対象になる仏様の姿に変身するという神秘性のとりこになったのも理由のひとつではないかと思っています。

 

VATE:高校卒業後はどうされたんですか?

 

高校卒業後は2年間、京都のお寺に修行に入りました。でも時間が空いた時は木を彫っていました。また修行を終え、加行(僧侶になるための最後の修行)を終えた後、浄土宗学を学ぶために大学に編入したのですが、在学中も彫ることだけは自然とやめる事はありませんでした。

 

VATE:大学卒業後はやはりお寺を継がれるということになっていたんでしょうか?

 

そうですね。お寺の長男という事で「後継ぎ」という事は小さい頃から両親だけでなく、いろんな人に言われていました。進路を考え出さなくてはならない4回生の頃、「仏像彫刻を本職としてできないものか」と考えるようになりました。でも、私には「後継ぎ」という言葉が頭から離れず、両親に相談したところ、「仏像彫刻」をする事には賛成してくれたのですが、職業とする事には反対でした。