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2001年個展にて

VATE:ええ!では実際に10年間違うことをされたんですか?

 

実際は、5年間。その後また版画にもどりました。

といっても実際はその間、版画教室を持っていたので、完全にやめていたわけではありません。二股をかけていました。年に一度教室展があるので、そのために作品を作ったりもしていました。生徒さんも増えていっていたし…。

これも話せば長いのですが、西陣の会社で働いたことは、本当に良かったと思っています。日本の社会について、いい勉強になりました。そして、もっと版画に対して意欲的になりました。5年後、「もうこれで版画に戻れる」という確信をもって会社をやめました。

 

VATE:これまでに色々な事がありながらも、創作を続けてこられた源というのは何だったんでしょう?

 

それは、心の深いところからわき上がってくる創作意欲だと思います。

表現しよう、版画を作ろうと、突き動かされている感じです。最近はどんなものを作ろうかなどもあまり考えなくなりました。ただ、内から出てくるインスピレーションにまかせています。

 

VATE:なるほど…。その5年間があったから、沸き上がってくる物というのもあったわけですよね。

では今後どういった事をされていきたいと思われてますか?夢を聞かせて下さい。

 

そうですね。別段、なにか新しいことをというのではなく、今までやっていたことを引き続きやっていくことですね。版画は死ぬまでやり続けたい。アイディアはたくさんあります。ですから、ただ創り続けるのみです。

それからもうひとつ大切なことは京都国際木版画協会(KIWA)のことです。 KIWAは、世界の木版画家の作品を展示し、紹介する場を京都に持ちたいと思って、私が6年前に設立した協会です。主な活動は、世界中の作家に呼びかけて3年ごとにKIWA展を開催することです。次回、第4回展は2003年の2月に予定されています。

わたしの夢は、KIWAの存在を多くの人に知ってもらい、KIWAがずっと続いていくことです。KIWAコレクションも増え続けていますし、将来は世界の版画の歴史がつづっていけるようなKIWA美術館を建設できたらいいなと思っています。でもそれは私ひとりの力では実現できません。KIWAが50年後、100年後まで存続していけるよう、基盤を作っていくのがわたしの役割だと思っています。

KIWAはわたしが創りましたが、いずれわたしの手から離れて独立して存在してくれたらと願っています。